寺子屋ことだま
という名前で、ことばのリハビリを始めることにしたわけですが、この名前に込めた想いをご紹介します。
「ことだま」という単語じたいには、いろいろな意味がもちろんありますが、私が強く意識したのは
「ひとりひとりの、その一言には、魂(熱いエネルギー)が詰まっている」
ということです。
脳卒中を始めとして、ことばが思うように発せられなくなってしまうことがあります。また、発達など過程で、思ったように相手のことばを理解したり、自分の思いを伝えたりする難しいという事もあります。
人と人とのコミュニケーションが、あたりまえのことのように感じていたからこそ、それが、ある日突然できなくなる事は大きな喪失感につながります。
さらに、ことばが不自由であることは、人と人との関係が大きく揺らいでしまう場面に何度も出会いました。
私たち言語聴覚士は、こうしたコミュニケーションが思うように交わせない方々の支援を主な仕事としています。
なかなかその一言が出ない…。
そういう方々と日々向き合う中で、だからこそ、苦労して紡ぎだしたその一言は、珠玉の一言だと感じるのです。
もしかしたら、その一言すら、本来言いたかった言葉には程遠いのかもしれない。
けれど、苦労して絞り出した、数少ない言葉の一言一言に、どれだけのエネルギー、魂が込められているのかを毎日見守ってきました。
皆さんのことばには、魂がこもっている。
その魂の一言を、是非大切な一言に伝えてほしい。そして、伝えるお手伝いをしたい。
そんな思いで「ことだま」と名付けました。
では、「寺子屋」は??
実は、私の家は真宗大谷派の寺院で、私自身も副住職という役割をいただいています。お寺の役割ということは、近年いろいろと取り沙汰されていますが、江戸時代は「寺子屋」といういわゆる「フリースクール」のような役割も担っていたようです。
そういう環境も手伝って、「診療報酬や介護報酬」など、既存の様々な制度の枠を超えて、必要な人に、必要な支援が行き届くような社会になるとよいという思いで「寺子屋」と銘打っています。
言語聴覚士という仕事は、病院などで働くにおいては、お医者さんの処方箋に基づいてリハビリテーションを提供することが役割ですが、町の言語聴覚士としては、いわゆる「機能訓練」だけが仕事ではないと感じています。
ことばやコミュニケーションの悩みということをきっかけに、生活の中で困っていること、あるいは、脳卒中などの病気をきっかけにあきらめてしまっていた夢や目標を、もう一度かなえるお手伝いをさせていただきたいと思っています。
生活の隣に、ちょっと相談できる専門家
そんな立ち位置で、地域の中で役割を担っていければと考えております。