ことだま日誌

「ことだま」の名前の由来

前にも一度、ブログに書きましたが、動画にしてみました。
(といっても、しゃべっているだけですが…。)

ノンテロップなので、聞き取り練習にでも使っていただければと思いますが、一応答え合わせとして原稿を動画とあわせてこちらに上げておきますので、よければ合わせてご覧ください。


皆さんこんにちは。
今日はドライブ動画なんですが、リハビリというよりは私がただしゃべるという感じにしたいと思います。

何でこんな形にしているかというと、画面に向かってカメラに向かってただただしゃべってもいいんですが、ちょっとそれだと絵がもたないというか、私がずっとしゃべっている動画をずっと画面で見ていても、ちょっとつまらないなというふうに思いましたので、

ドライブの様子、画面風景が移り変わっていくのをBGM的に見ながら、ちょっとドライブしながらおしゃべりするというような気楽な感じで聞いていただけるといいかなというふうに思いますので、気楽に今日は聴いてみてください。


安全運転でいきたいと思いますので、ちょっと前一緒にドライブしているようなつもりで、車内トークを楽しむようなイメージで聞いてもらえればいいんじゃないかなと思います。

ただ、ちょっと今日は天気があいにくの時雨模様で、冬らしい天気ですが、あまり景色もよくないのであれですけれども。

はい、で今日は何を話そうかなということなんですが、最初なので、この「寺子屋ことだま」についてちょっとお話をしてみたいなと思います。

私が「寺子屋ことだま」を始めたのが、2022年の9月ということで、それ以前にもちょっとずつ準備はしていたんですが、正式にきちんと始めたのが22年の9月ということでですね。

先日、12月14日にも朝日新聞の記事に取り上げていただいて、お知らせしていただいたのでありがたいなというふうに思っているんですが、今日はですね「寺子屋ことだま」の名前の由来についてお話をしたいなというふうに思います。


「寺子屋」というのは皆さんご存じと思いますが、江戸時代にあった、そういうお寺ですね。学校の代わりで、子供たちが通って読み書きそろばんを習って、というそういう文化があってというところから、学校とか、この失語症のリハビリの場合は病院とかですが、そういった、その公的なあらかじめ決まったような、そういうその定まった場所ではなくて、自由に通ってもらえるというか、自由に使ってもらって、こう学び合っていけるようなそういう場所でありたいなということで、「寺子屋」というふうに名前をつけました。

もちろんですね。私の家がお寺だということもありますので、それを関連づけてということもありますが、そんなようなイメージで名前をつけました。


で、肝心なのは「ことだま」ですね。
皆さん、「ことだま」という言葉を聞くと、どういうようなイメージをお持ちでしょうかね。


「ことだま」という字は皆さんイメージされるのは「言う」という字に「霊」という字をイメージする方が多いんじゃないかなというふうに思います。

言葉の印象としては、例えばその言葉っていうのにはエネルギーが強いエネルギーがこもっているので、縁起の悪いこととか悪いことを言うと、その通りになっちゃうぞというような意味合いで使ったりとかですね。忌み言葉なんかをよく、それに関連する言葉として並んでイメージすることも多いじゃないかなというふうに思いますが、私がその「ことだま」という風に名前を付けた時にイメージしたのは、「言う」という言葉に「魂」という字を並べるようなイメージで名前を付けました。

言葉には力、エネルギーがこもっているぞっていうような、そういうその根底にある意味合いとしては、もちろん共通する部分があるんですが、きっかけはですね、私がまだ病院に勤めていた時に担当した失語症の患者さんから言われた言葉がちょっと心に残っていて、そこからインスピレーションを受けたというか、名前をひらめいたというか思い付いた言葉なんですが。

どういう話だったかと言いますと、その患者さんはですね、入院をされて、なかなか思うように話ができないということで、非常に苦労をされた方なんですが、ある時ですね。リハビリをしている最中にですね。こんなことを言われたんですね。


その私、その失語症の当事者にになられた、その方ですね。

私達は言葉が不自由になってしまって、自分の思ったことをスラスラと言えなくなってしまったと。でも、だからこそ私達の一言一言を大事にしたいと思うし、まして言葉によって人のことを傷つけたりとか貶めたりとか、そんなようなことは、やっぱり決して言ってはいけないなということを強く感じました。

というようなことを言ってくださったことがあったんですね。

で、それを聞いてですね。やっぱり、思い、こういうことを伝えたいとか、こういうことを感じているという強い思いが、なかなかご自身の思ったような言葉に繋がってこない、その苦しさですね。そういうつらさを身をもって体感していらっしゃるからこそ、その言葉ということの大事さ、ありがたさっていうのを非常に強く感じていらっしゃるんだなということをすごく感じました。

そういう中でですね。だからこそ、言葉が不自由になって思うようにすらすらと喋れない。そういう方々の言葉だからこそ、一言一言、その発せられる言葉というのには、ものすごいエネルギーと思いが詰まっているんだなというようなことを、改めて学ばせてもらったということがあります。

そういうところからですね。私達言語聴覚士がお手伝いをする、失語症を初め、言語聴覚障害をお持ちの方々の一言一言の言葉というのは、それだけ、歯がゆさも悔しさも込みで、魂、心の底からの魂の「叫び」というか言葉なんだということを忘れてはいけないぞというそういう思いというか、願いを込めて「ことだま」という風に名付けました。

なので、「言ったったことがその通りになる」とか、そういうおまじない的な話ではなくて、一言一言を大事にですね。

たとえ不本意な一言になってしまったりとか、思い通りにならない歯がゆさがあったとしても、でも、その発せられた言葉一言一言を大事にしていきたいというような思いで名前を付けました。

なので私達は、これから「寺子屋ことだま」として活動をして皆さんのお手伝いをしていくにあたって、ぜひ皆さんの気持ちとか、こんなことしたいとか、こんなことがしんどかったというようなことを皆さんの言葉で伝えていただけるといいんじゃないかなという風に思っています。

このYOUTUBEのチャンネルを作って、自主トレ動画ということで、たわいもない動画ばかりですけども、ちょっとずつ作っていますので、そういうのも活用してもらって。

ただやっぱ「こういう風に言わなきゃいけない」とか、「この名前が言えなきゃいけない」というそういう意味合いではなくて、ぱっと言葉が出ないとか詰まってしまった時にも、じゃあ別の表現で言ったら、どういう風に言ったらいいのかなとか、そんなようなことも考えながら、一つの事柄を伝えるのに幾つもの手段というか方法を使ってもらえるといいんじゃないかなというふうに思います。

ぐっと言葉が詰まった時には、やっぱりこう焦ってしまう気持ちがどうしてもあると思いますが、そんな時にですね。名前を思い出すということだけに、気持ちをとらわれすぎずに、他の手段…身振り手振りも含めて、他の手段で相手にちゃんと伝わるという為にはどうしたらいいのかなっていうことも、一緒に工夫していけるといいかなというふうに思いますので、こんな動画もちょっとずつ活用してもらいながら、一緒に歩んでいけるといいんじゃないかなという風に思っています。

はいということで、今日は「寺子屋ことだま」という名前の由来について、ちょっとお話をしてみました。

はい、ちょっとですね。
もう少しね気持ちのいい天気の中でお話をすれば良かったなと思っておりますが、ちょっとこんな時雨模様で、なかなか景色がすっきりはしないですが、これも天気のことなので、なかなか思い通りにはいかないですけれども。

はいでは今日はこれで終わりたいと思います。

また、次回何かお話ができたらいいなという風に思っています。おつかれさまでした。